寺山修司と競馬 : 「鉄とキタイシオー」
もともとが読書好きのため、競馬の本というと、どんな本があるのだろう、と探してみたのだが、やっぱり読んでおこうと思ったのが、寺山修司。
競馬を愛した詩人で作家の寺山修司は、馬に関する作品も残している。
その一つが、小説のような文体で綴られる「競馬ノンフィクション」の『競馬への望郷』。

馬にまつわる短編小説やエピソードの断片のような作品が数多く描かれ、その文学的な内容から、ほんとうに実在の話なのだろうか、と不思議な心地にさせてくれる作品だ。
この『競馬への望郷』の最初に登場するのが、女を亡くし、その女の墓をつくりたいと「声の出ない馬」に賭け続けるバーテンの鉄と、キタイシオーの話である。
あらすじは、以下の通り(ネタバレあり)。
バーテンの鉄の女房だったミキは、口が聞けない、いわゆる唖者で、新宿歌舞伎町のトルコ風呂に勤めていた。
ミキには親も兄弟もおらず、故郷がどこかも誰も知らない。
鉄とミキは一緒に暮らし、浮気者の鉄はしょっちゅう別の女のもとに泊まりにいくのだが、ミキは不満をこぼすこともなかった。
そのミキが、突然、心臓麻痺で亡くなる。
鉄はすっかり落ち込み、無口になり、酒もやめ、ひとりアパートで考えごとばかりするようになった。
そして、その鉄が、「私(寺山修司)」に、「声の出ない馬をさがしているんだ」と相談する。
寺山と、寿司屋の政が、鉄を励まそうと思い声の出ない馬を探していると、あるとき政が、「見つけたぞ」と言って寺山のもとに駆け込んできた。
それが、「キタイシオー」だった。
先天的に声が出ない、という馬は存在せず、しかし、喉鳴りのする馬の声帯を治療のために手術して取り除くことはある、と政。
キタイシオーがそうだ、と政は言う。
そのことを鉄に教えると、鉄はさっそく貯金をおろし、キタイシオーの単勝馬券を購入する。
キタイシオーに単勝で20万円。しかし、結果はビリから二番目。それでもキタイシオーに賭け続けた鉄は、ついに馬券が的中する。
キタイシオーに向かって「おい!」「取ったぞ」と声をかけると、走ってきた鉄に驚いたキタイシオーが思わず立ち上がった瞬間。
ヒヒーン!
そう、キタイシオーは、「声の出ない馬」ではなかったのだ。
落胆した鉄は、その配当金で酔いつぶれ、どこかに行ったきり、姿を消し、以来、鉄の消息は不明となる。
キタイシオーは、その後まもなく、喉鳴りが悪化、手術が失敗したことでほんとうに声が出なくなってしまった。
そして、それからはレースに出ることもなく引退して人前から姿を消す、という話である。
あまりにフィクション風の語り口なので、読み始めた最初は、キタイシオーという馬も存在しないのでは、と思ったのだが、調べてみると、キタイシオーはちゃんと実在した。
キタイシオーは1968年3月27日、北海道生まれの黒鹿毛。戦績は、平地で14戦3勝、*障害戦で14戦4勝。
*障害戦とは、障害を持った馬が争うレースのことではなく、コースに設置された障害物を交わしながら速さを競う、障害物競走のこと。
この4勝のうち、障害戦の重賞、東京障害特別をキタイシオーは1973年に勝利している。
鉄が、馬券を当て、駆け寄っていったレースが、この東京障害特別だ。
作中には、二着だった障害オープン戦や、落馬事故になった中山大障害のことにも触れられている。